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普遍的なテーマ

人と人とが分かりあえる。
期待していなかったり、あきらめたり、つまり、そのことから目を背けていたら、悲しみもそれほどではない。いや、悲しいんだろうけど、本人が気づいていないだけだ。

このままでいいのかなといえばいいわけではないのだろうけど、ただ、悲しいことに目を向けるのは、とてもエネルギーがいることだ。

でも、夏目漱石の作品や『エヴァンゲリオン』は、それを描こうとして、小説やアニメ業界の金字塔ともいうべき存在となった。

普遍的なテーマなのだと思う。

なぜ、悲しいのか、むなしいのか、苦しいのか。
きちんと目を向けて、作品に反映させていくことに決めた
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by postmanda | 2009-01-31 09:58

夏目漱石

最近、文学史の勉強を始めている。

近代文学から取り組んでみたのだけど、その参考書では、夏目漱石を絶賛していた。
僕も説明を読んでいくうちに、夏目漱石の小説をもう一度読みたくなってきた。
僕の目を引いたのは、夏目漱石が「人と人とは分かり合えない」ことを作品の中で描いていたことだ。
その象徴的な作品が『こころ』。

高校時代に『こころ』を読んだことはあるけれども、その時は面白いと感じただけで、「人と人とは分かり合えないこと」がテーマとして描かれていることに気付かなかった。

その後、僕はこのテーマを描こうとしたアニメを知った。
『エヴァンゲリオン』だ。
「人と人とは分かり合えないものだ」とシンジに語る父・碇ゲンドウ。
そうした考えを持つゲンドウは、人類の心の隙間を埋めるべく人類補完計画を進めていた。

エヴァンゲリオンだと、アニメだからと割り切れる部分があるけれど、小説の先駆者ともいうべき夏目漱石までが描こうとしていたと知ると、もう無視はできない。

自我やエゴを徹底して見つめたという夏目漱石。偉大なる小説家を見習って、僕も自分の心をもっと見つめていかないとと思った。
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by postmanda | 2009-01-31 01:11

インプレッサ効果

今日は職場でちょっと能動的だった。
いつもより硬さもとれてた。

久しぶりにインプレッサに乗ったからだろうなぁ。

少し満たされた感じ。

今日もちょっとだけ乗った。
つなぎやすくなったとはいえ、走り始めはまだギアチェンジがぎこちない。
もっともっと乗りたかった。

爽快感は多少減ったけど、走っていてストレスをほとんど感じなくなった。

だから、ノーマルのクラッチになっても、インプレッサの運転は楽しい。

マフラーも純正になって物足りなさを感じていたけど、純粋にエンジン音だけを聞くのも悪くない気がしてきた。その方がよりマシンの鼓動を感じるってもんだ。

やっぱり、良い車だ。
運転してて楽しい車だ。
それがインプレッサだ。
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by postmanda | 2009-01-27 00:10

新しくなったインプレッサ

インプレッサがクラッチ交換を終えて、戻ってきた。

インプレッサを2週間ぶりに運転だ。
新しいクラッチは、とてもつなぎやすくなっていた。
半クラッチまでがとても短くなっていて、クラッチをはなすだけで、つながってしまうほどだ。
ギアチェンジの時もあまり揺れが出ない。
新しくなったインプレッサを乗ったことで、これまでがどれだけ乗りづらかったのがよく分かった。

強化クラッチをつけていたインプレッサは、ちょっとのミスも許さない車だった。ちょっとでも荒くクラッチをつなげると、激しく揺れてしまう。まるでじゃじゃ馬のようだった。
だから、いつも繊細に体を動かそうと神経を使っていた。
これでもかというくらいに体の動きを気にしていた。

インプレッサ自体が、厳しい教官だったんだと思う。
僕は彼女を怒らせないようにと、いつも体の動きに神経を巡らせて運転していた。
だから、一人でも運転するだけで腕を伸ばすことができた。


新しいインプレッサは、結構、運転に寛容だ。
そうなると、体の使い方も甘くなりがちだ。
そこまで、体の動きに気を使う必要が感じられないからだ。

でも、足元を気にしなくなったことで、周囲に意識を向けられるようになった。
その時、どうすれば良いのか。
周囲の状況を見て、ベストの判断をする。
この判断の方が良かったんじゃないか。
そうすることで、状況判断が出来る男にへとなっていけるんじゃないか。

新しいインプレッサは、そうした運転が出来る段階へと引き上げてくれるかもしれない。
2日乗って、僕はそう思うようになった。
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by postmanda | 2009-01-26 01:03

がむしゃら

自分の仕事を校閲してもらい、間違った部分の説明を受ける。
その時自分の体って、とても体が硬い。

心が間違いを聞きたくない、指摘されたくないって拒絶しちゃってるんだろうな。
もっといっちゃうと、馬鹿にされたくないと心が思っちゃうのだ。
心の奥で自分をすごい人間だと思っている。
謙虚さがないのだ。

失敗をどんどんして、出来るようにしていけばいい。
失敗をした分だけ成長出来る。
失敗を恐れちゃいけない。
というのは分かってるんだけど、間違いを、失敗を受け入れられないのは、染みついちゃってる悲しき修正だから、そう簡単に直るもんじゃない。

昔、編集部で働いてたこともあるし、プライドを捨てきれないんだろうな。
気取っていて向き合いが足りないのだ、今の仕事に。

だったら、もっとがむしゃらに仕事をしよう。
運転をしている時みたいに必死に集中して。

がむしゃらな人間は、もっと失敗を積極的に受けいられるはずだ。
がむしゃらなんだからそうにちがいない。
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by postmanda | 2009-01-21 23:00

何を特訓すべきか

今日、担当した中で、記事に見出しをつける仕事があった。
やり終えて校閲のチェックを受けると、修正を受けた。
午後にもう一度担当することになったけど、その時も修正を受けた。
悔しかったので、仕事をすべて終えてから、余った時間で過去の記事を使って見出しをつけるトレーニングをしてみる。
どれも自分がつける見出しはイマイチだ。それぞれ担当した者がつけた見出しの方が、記事の内容を上手く反映させている。

退社してから、今日の仕事を振り返る。
記事に見出しをつける仕事は、業務の中で一番クリエイティブな内容なんじゃなかろうか。
だとしたら、今はまだ自分から出来るようにトレーニングすべき段階じゃないと思う。
あいた時間で他にもっとすべきことはあるはずだ。

今、仕事の内容は大きく2つ、会議前と会議後に分けられる。
その2つのうち、どちらによりウェイトを置くとしたら、会議前の仕事なのだと思う。
だから、あいた時間で、会議前の仕事を自主的に特訓した方がいいのだ。
そうなのだ。
よしっ明日からそうしよう。
記事の見出しをつける練習をしている場合ではなかったのだ。

会議前の仕事は、時間をかければまあまあ出来る。これから磨くべきはスピード。
そのためには検索する時間を減らさなければだめだ。
むやみやたらに検索するのではなくて、ピンポイントで当たる検索用語の選択。
今はこなしていこう。
そして、コツを見つけるのだ。
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by postmanda | 2009-01-21 22:40

苦手なタイプ

いつも仕事を教えてくれる社員の人が休みだったので、違う人が担当としてついた。
これで担当になった社員は3人目だ。

朝の会議で仕事内容を発表することになっているので、その内容のチェックを社員にお願いした。いつもの流れである。
でも、その社員は、いいよいいよ、会議が終わってからでと言う。僕は自信ないんでと言って再度お願いした。
会議でとんちんかんなことを言って、恥をかきたくなかったためである。
会議まで時間がなく、急ぎ足だっただめに、間違っている部分の説明を十分に理解できなかった。
きちんと仕事を覚えるのなら、会議が終わってから間違っている部分を教えてもらった方が身にはなる。社員の判断はあっているのだと思う。
でも、やっぱり恥はかきたくないものだ。

午後になって、また社員にチェックをお願いしたところ、仕事の進め方が違うと指摘された。
でも、その進め方を僕は知らなかった。いつもの担当社員から教えてもらっていなかったのだ。
その後でチェックしてもらい、間違いを説明してもらったのだけど、あまり頭に入らなかった。

混乱?
動揺?
ふてくされ?

いろいろとあるのだとは思うけど、

嫌だなぁ・・・。
といった意識がとてもでかい。

何が嫌なんだろう。

いつもと違う。

それだけなのか?

もっと、単純に考える。

ああ、なるほど。

僕にとってその社員は、どうも苦手なタイプなのだ。

いつもの社員は、基本的に自分でやってしまうタイプ。あまり僕にやらせずにどんどん答えを言っちゃうのだ。だから、僕はとても楽だ。答えを教えてくれるから間違いも少なく、早くに仕事を終わらせることも出来る。その社員に依存しちゃえるわけだ。人に依存しがちな僕としては、まあまあ仕事がやりやすかったりする。時間に余裕があるから、おさらいも時間かけて出来るし、その時は自分のリズムで仕事が出来る。あまり答えを言わないでよと苛立つ部分もあるけど、楽なものは楽だから、悪くはない。

その次に見てくれた社員は、出来るだけやらせるタイプ。だから質問をしても、自分で考えてみようと優しく突き放された。でも、その分フォローもしっかりしてくれて、時間内に終わりそうになかったら、手助けもしてくれる。そのへんはきちんと計算しているし、休憩に誘ってくれたりと、計画をたてて育てようとしてくれている。フォローしてくれることは分かっているのでこの人のやり方に依存して、安心して自分のリズムで仕事が出来る。

今日、見てくれた社員は、放任主義。引っ張ってくれるわけでもなく、相手の思い、事情を汲まずに間違いをずばずば指摘する。教えてくれないのに、間違いだけ指摘されることに、抵抗を感じてしまう。
そのさまは自分の父親を連想してしまう。だからなのだろうか、苦手なタイプだなぁと思ってしまうのは。



今日の仕事をすべて終えて、最後また見てもらうことになった。
また、間違いをいろいろと指摘される。
こんなに指摘されるのは、この人だけだよなぁと思った。

でもだ。
本当は、僕は間違いに対する指摘を求めているはずなのだ。
なぜなら、僕は答えを知りたいからだ。
これまでの社員は細かいところまでは、間違いを指摘しないでいた。
僕はいろいろと迷っている部分もあったので、拍子抜けを感じたりもしていた。
だから、迷いを消すために自分から積極的に質問していた。

今日の社員の人は、ここはこうだと断言する。
その断言は僕の中から迷いを消してくれる。
それはとてもありがたい言葉なのだ。

2度目に見てくれた社員の人がこう言っていた。
「今の時期はどんどん間違いをしてもらう。間違った方が覚えるからね」

だとしたら、出来るだけ一人でやらせて、間違えさせて、その間違えを指摘して正解を教えるやり方は、理にかなった教え方だと思う。

だから今日、見てくれた社員の人のやり方が、一番、成長する指導なんじゃないのかな。

と思えてきた。


間違いをどんどん指摘されるのが嫌だったり、引っ張ってくれないことに不満を感じるのも、自分の甘えだし。

とはいっても、苦手なタイプに変わりはないんだよね。

いろんなタイプの人と付き合えないとなぁ。
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by postmanda | 2009-01-20 00:05

今は仕事を覚える時期

今の職場は自分の担当している仕事を終えたら、後は自由にしていいことになっている。
そうなると、つい早く終わらせてしまおうという気になってしまう。
周りの人たちは、退社時刻の1時間前にはもう仕事を終わらせている感じだし、それを見てるとなおさら。

でも、それだと仕事がいい加減になってしまう。
今は仕事を覚える時期。
仕事を理解するためにも、分からないところは自分で時間をかけてでもどんどん調べていくべきだ。
それでも、金曜日は仕事の量が少なかったので早くに終わってしまった。
残った時間で仕事のおさらいをして、それでもまだ時間が余っていたので、他のページをトライしてみた。
過去の仕事をたくさん見て、この会社が求めている模範解答を頭の中に入れていく。
調べれば調べるだけ、自分の力になる。
早く終わらせたかったり、面倒臭がって、調べることを怠ったちゃダメなのだと、思っとこう。
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by postmanda | 2009-01-19 23:16

文学好き

職場で隣の席の人と結構しゃべった。

彼も小説を読むのが好きなのだという。
しかも、僕よりもよっぽど純文学に詳しそうだった。

小説の話をしたのは久しぶりで、とても楽しかった。

新しい職場の人たちは、文章が好きな人たちが多いのかもしれない。

編集部で働いていた時は、恐ろしいくらいに小説の話をしなかった。

文系の世界ではあったけど、文学の香りはほとんどしない場所だった。

僕は今度の職場で初めて文学好きの多い世界に足を踏み入れたのかもしれない。

秋葉原で務めていた職場は、オタクが集まる職場だった。ここで僕は中途半端なオタクだったために、中途半端にしか場に溶け込めなかった。

そして今度の職場は、ちょびっと文学世界。
しかし、僕は文学にも中途半端なのだ。
さらに、クリエーターとしても中途半端。

だから、どこに行っても居場所を見つけられない。

だけど、ひとまずは、新しい職場で出会う人たちとの交流を楽しんでいきたい。
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by postmanda | 2009-01-13 22:59

鬱文学

これまでに、太宰治の作品は鬱文学だという言葉を目にしたことがある。

そこで、「鬱文学」「太宰治」をキーワードにしてネットで検索する。

すると、太宰治を鬱文学と証するサイトは1つも引っかからない。

僕は戸惑った。
世間的に太宰治は、鬱文学だと思われていないのか・・・・。

今度は鬱文学で検索する。
鬱文学という言葉自体を使っているサイト自体がほとんどなかった。

つまり、鬱文学という言葉自体が世間的に浸透していないわけだ。

しかし、鬱になる文学を話題にすると、太宰治作品は必ずといっていいほど入ってくる。

鬱になる文学の代名詞なわけだ。

ほかにも、鬱になる文学作品は書かれている。

その中のいくつかは読んだことのある作品だ。

しかしこれらのほとんどは、内容が悲惨だから、バッドエンドだから鬱になるというもの。

僕はここに太宰治の作品との間に決定的な壁があると感じてしまう。

なぜなら、太宰治は、物語の内容だけじゃなく、主人公自体が鬱的だからである。

そこにあるのは、人への恐怖だ。

太宰治らしさ溢れる作品には必ず、このテーマがつきまとう。僕が太宰治を鬱文学と評するのは、主人公が人間に怯えているからである。

鬱文学は、太宰治の作品が唯一無二の存在だと思っているが、アニメまで広げると鬱系という言葉がぴったりな作品がもう1つある。

新世紀エヴァンゲリオンだ。
この作品の登場以降、エヴァの影響を受けたアニメは数多く登場した。
しかし、それらは亜流でしかなく、本家の魅力には到底届かず、人気の面でもエヴァを超えた作品は出てきていない。
それは、エヴェンゲリオンも人への恐怖がテーマの1つとして挙げられた作品であり、人間を恐れ壁を作る主人公に多くのオタクが感情移入したから、熱狂的な人気を生んだのだと思っている。

好きな小説は太宰治作品。

好きなアニメは新世紀エヴァンゲリオン。

さらに好きな漫画は、あしたのジョーや、バカボンド。

どれも人間への恐怖が描かれた作品ばかり。

自分が描きたいテーマは、人への恐怖なのだと認識出来た。
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by postmanda | 2009-01-13 22:42