2009年 01月 13日 ( 2 )

文学好き

職場で隣の席の人と結構しゃべった。

彼も小説を読むのが好きなのだという。
しかも、僕よりもよっぽど純文学に詳しそうだった。

小説の話をしたのは久しぶりで、とても楽しかった。

新しい職場の人たちは、文章が好きな人たちが多いのかもしれない。

編集部で働いていた時は、恐ろしいくらいに小説の話をしなかった。

文系の世界ではあったけど、文学の香りはほとんどしない場所だった。

僕は今度の職場で初めて文学好きの多い世界に足を踏み入れたのかもしれない。

秋葉原で務めていた職場は、オタクが集まる職場だった。ここで僕は中途半端なオタクだったために、中途半端にしか場に溶け込めなかった。

そして今度の職場は、ちょびっと文学世界。
しかし、僕は文学にも中途半端なのだ。
さらに、クリエーターとしても中途半端。

だから、どこに行っても居場所を見つけられない。

だけど、ひとまずは、新しい職場で出会う人たちとの交流を楽しんでいきたい。
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by postmanda | 2009-01-13 22:59

鬱文学

これまでに、太宰治の作品は鬱文学だという言葉を目にしたことがある。

そこで、「鬱文学」「太宰治」をキーワードにしてネットで検索する。

すると、太宰治を鬱文学と証するサイトは1つも引っかからない。

僕は戸惑った。
世間的に太宰治は、鬱文学だと思われていないのか・・・・。

今度は鬱文学で検索する。
鬱文学という言葉自体を使っているサイト自体がほとんどなかった。

つまり、鬱文学という言葉自体が世間的に浸透していないわけだ。

しかし、鬱になる文学を話題にすると、太宰治作品は必ずといっていいほど入ってくる。

鬱になる文学の代名詞なわけだ。

ほかにも、鬱になる文学作品は書かれている。

その中のいくつかは読んだことのある作品だ。

しかしこれらのほとんどは、内容が悲惨だから、バッドエンドだから鬱になるというもの。

僕はここに太宰治の作品との間に決定的な壁があると感じてしまう。

なぜなら、太宰治は、物語の内容だけじゃなく、主人公自体が鬱的だからである。

そこにあるのは、人への恐怖だ。

太宰治らしさ溢れる作品には必ず、このテーマがつきまとう。僕が太宰治を鬱文学と評するのは、主人公が人間に怯えているからである。

鬱文学は、太宰治の作品が唯一無二の存在だと思っているが、アニメまで広げると鬱系という言葉がぴったりな作品がもう1つある。

新世紀エヴァンゲリオンだ。
この作品の登場以降、エヴァの影響を受けたアニメは数多く登場した。
しかし、それらは亜流でしかなく、本家の魅力には到底届かず、人気の面でもエヴァを超えた作品は出てきていない。
それは、エヴェンゲリオンも人への恐怖がテーマの1つとして挙げられた作品であり、人間を恐れ壁を作る主人公に多くのオタクが感情移入したから、熱狂的な人気を生んだのだと思っている。

好きな小説は太宰治作品。

好きなアニメは新世紀エヴァンゲリオン。

さらに好きな漫画は、あしたのジョーや、バカボンド。

どれも人間への恐怖が描かれた作品ばかり。

自分が描きたいテーマは、人への恐怖なのだと認識出来た。
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by postmanda | 2009-01-13 22:42