2007年 10月 29日 ( 1 )

対局への姿勢=生き方への姿勢

将棋で先生を怒らせた。
先生から「今の行動はルール違反だろう」と指摘を受けたオレは、自分が感じた不満をぶちまけた。先生いわく「逆切れ」。そうした言動が、相手の感情を逆撫でしてしまった。
「対局を続ける気にはなれない」
そう言って、先生はその席から離れていった。
しばらくして、オレも「食事の後片付けをしますか」と言ってヒデミさんとともに立ち上がる。
将棋盤をそのままにして、和室から誰もいなくなった。


なんでこんなことになったのだろう・・・
後片付けをしながらオレは考えていた。
答えはすぐに出た。
オレが「勝ち負け」にこだわって将棋を指しているからだ。
先週も指摘されたこと。だから、オレは「受ける」をテーマに将棋を指そうとしていた。いつも攻めてばかりいたから。相手が攻撃する前に攻めて勝っていたから。その勝ちへの意識を見直すために、「受ける」をテーマに掲げたのだ。
しかし、対局が始まって攻撃のチャンスを感じ取ってしまい、攻めモードのスイッチが入ってしまった。一局目に勝ったオレは、さらに「勝ち負け」に意識がいく。もう「受ける」というテーマはどこへやら。「勝ち負け」への執着で、オレは心を見失っていた。そして、事件を起こしてしまったのだ。

次の日、オレは先生に昨日のことを謝った。
先生は「勝ち負け」にこだわる人間の情けなさを、亀田親子を例にして説明した。そして、最後にこういい残した。

「バカボンドを読んで反省しろ。勝ち負けにこだわり苦しみ、それを乗り越えようとした人間の生き様を見つめ直してくるんだ」。

宮本武蔵の生涯を描く剣劇漫画『バカボンド』。
そうなのだ、自分を見失ったとき、オレはいつも『バカボンド』を読み返していた。
この漫画には人生を生き抜く指針がつまっている。
いわば、バイブルなんだ。

強い敵と戦いたい!強ければ強いほどいい!!それでも俺が勝つ!
その意識をいつも持ち合わせている宮本武蔵。欲しいのは世界一強い剣豪「天下無双」の称号だ。
そんな武蔵が実際に強い評判の相手、胤舜と剣を交えることになった。
戦いは、武蔵が攻めて圧倒する。相手は防御一辺倒。しかし、武蔵は相手のガードを崩せない。次第に相手の攻撃を受け始め、ついには追い詰められてしまう。

この展開には見覚えがあった。
先週、先生とオレが打った対局そのものだ。オレが序盤から攻め続けたものの、すべてに受け流され、攻めてできた隙を突かれて負けた。


武蔵の怒りに満ちた攻撃は不安と怖れをなしている

しかし胤舜の攻撃には怒りも憎しみもない。それどころか敵への好意すら感じる
・・・実りある勝負をくれた相手を愛すかのような――

作中では、武蔵と胤舜の対決への姿勢をそう表現されていた。
勝ちにこだわる武蔵と勝負を楽しむ胤舜。

その図式はオレと先生にもあてはまる。


将棋は勝つために打つわけじゃない。

だったら何のため・・・

自分自身を成長させるためだ。

でもどうやって成長させるっているんだ・・・・

成長とは得ること。だったら対局で感じたことすべてを吸収して自分のものにすればいいじゃないか。


オレは何も見ていない。
直面している相手のことさえも。

また、思い出してしまった。

見ないでいる。
見ることが怖いから。
相手が怖い。自分の無力さを知ることが怖い。

オレはすべてを無視してきた。
受け止めることで不安や恐怖に支配されるのが嫌だから。

オレは対局で相手のことをこれっぽちも見なかった。
知ろうともしなかった。

昔、先生からしょっちゅう「見る」ことの大切さを教えられてきた。
今ならその言葉の意味をもう一段階深く理解できるかもしれない。

見ることは、相手を知ること。
そして、相手を知ることは、相手のことを自分に取り入れること、吸収することだ。


だから、将棋の「受ける」は、吸収することであり、それは相手を受け入れるということになるんだ。
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by postmanda | 2007-10-29 00:23