感情の流れ

内心、怯えていた。

目の前にいるのは先生。

僕が書いたコントの話になるのだろうことは予測できた。
昨日、コウキの作品に足りないものは「感覚に訴えかけるもの」だと言われたばかりだから。
僕はその課題の答えをいまだ出せないでいた。

立ち直れなくなるほど、厳しいことを言われたらどうしよう・・・
僕は再び立ち上がれることができるのだろうか?
立ち上がるまでにものすごい時間がかかるんじゃないだろうか。
僕は、自分のことを指摘されるよりも作品を指摘されることの方が恐れているんじゃないかと、ときどき思うことがある。
人間性が低くても作品には光るものが・・・そんなはかなげな希望にすがる心・・・。

先生は、僕の未熟な部分を教えてくれる存在。
僕は未熟な部分を指摘する人の前では、いつも以上に固くなってしまう。
先生にごまかしはきかないことはわかっている。
だから、根本的に駄目だと言われる可能性だって十分にある。
僕は自分の作品の未熟さを受け入れきれるのだろうか・・・


そんな僕の心配は杞憂に終わった。

「コウキの書いたコントには感情がない。本来感情を出す役が、状況の説明、解説になっているだけだ」

先生の指摘を聞いて、なるほどと思った。
さらに先生は続ける。
「キャラが感情を出さないから、物語が展開しない。物事を進行させるのに必要なのは、感情の動きなんだ。だから、コウキのコントは展開しない。ずっと横にずれているだけだ」
先生の話を聞いているうちに、僕は楽しくなってきた。
先生の言っていることは、とても理屈に合っている。単に自分の好みだけで言っているわけではない。僕はそうした理屈がともなう創作での指摘をもらうのは好きなのだ。編集部でも文章がとても上手い副編集長から、原稿への赤をもらうのはとてもうれしかった。逆に文章の素人である編集長から赤をもらっても別にうれしくない。単純なミスへの指摘しかないからだ。


先生の指摘は、突っ込みのほうに集中していた。でも、その指摘がボケの法にまで及んだとき、僕は、気持ちが沈んでいくのを感じた。
先生の指摘が増え続け、僕のキャパシティを超え始めている。そう感じてしまったからだ。
僕はある一線を越えてしまうと、それまでやる気が出てていても、急に心が折れてしまう。
今がまさにその瞬間だった。
どうしようか・・焦った。家帰ってコントを修正するつもりなのに、これじゃ何もやる気が起きない。進まない。

でも、
先生の説明はとても丁寧だった。
理解しやすいようにというう配慮があったのだと思う。
先生がわかりやすい例を出してくれたおかげで、またコントを書く気が湧いてきた。
先生の話が再び楽しく感じられたからだ。

僕は編集部に入って以降、創作作品を先生に見せたことはほとんどない。
見せたとしても、指摘されたらそれでおしまい。僕はその指摘を作品に反映させて進めることができなかった。

僕は先生に作品を見せることをずっと恐れていた。
立ち直れなくなるほどの指摘を受けることを恐れていた。
自分を守ろう守ろうとしていた。
作品を先生に見せるときは、先生から期限を設けられたときだけ。
今回のコントもそうだった。
だから、僕は考えて作品を提出した。
その作品に対して、出した一度目の指摘を僕は作品に反映させることができた。
再提出にたいして出た指摘が今回の「キャラに感情の動きがない」。
僕は今回の指摘を作品に反映させるようにする。
出せば、毎回新たな発見ともいうべき指摘をしてくれる。
今週、僕はものを書くための修行をまさにしていると実感した。
実感すればいいってわけじゃないけど、でも、うれしかった。
いつか僕は、立ち直れなくなるほどのことを先生から言われるかもしれない。
それを僕はいつも恐れている。
でも、「生む喜び」を僕は味わいたい。
自分が満足するだけの作品じゃない。
ひきこもっている人間に外に出ようと思わせる力を与えられる作品。
エヴァンゲリオンの作者もできなかったこと。
僕は、来週また先生に作品を提出するぞ。
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by postmanda | 2008-02-12 00:29


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