モノの見方

いじめる側といじめられる側、加害者と被害者の図式。
悪い方はいじめる側だと思いがちだ。
しかし、その原因を作ったのは、いじめる側、被害者にあることが多い。
つまりは、いじめられる側が、普通の人をいじめるように仕向けた、先に仕掛けたのは実はいじめられる側だったということ。


という話を先生から受けた。
それはオレがその例にあてはまるからだった。
オレはいじめられる側になる。
相手をむかつかせる要因を作っている。
それが無意識的に行われているのだ。
なぜ、そうなってしまうかといえば、姑息な考えが出てしまうから。
自分にとって一番都合の良いことは何か、そればかり考えた末に姑息な行動を取らせてしまう。

そうした気質を先生から指摘された。それはたしかにそうなのだ。

例えば、漫画キャラでいえば、オレは『デスノート』の主人公ライトにとても憧れてしまう。
ああいう計算高さに惹かれてしまうのだ。

しかし、姑息な考えはいつか自分にそのツケが恨みとして跳ね返ってくる。

ライトはハッピーエンド迎えたか?

否、ライトが待っていたのは、惨めな醜態をさらした上の死だった。

主人公らしからぬ最期であったが、姑息な男が迎えるには当然といえる末路だった。

そんな生き方を変えるには、

人の行動を好意とも悪意とも受け取らない、冷静に客観的にモノゴトを見なければならない。
まず見つめるべきは、父親と母親の関係、そして自分自身。
まずは根本の部分を見つめなければ・・・・・・。

好意を持たずく悪意を持たずくありのままの姿を見つめる。
感情に流されてはダメだ。好き嫌いに流されてはダメだ。

オレは、悪意を沢山持って行動している。好き嫌いがとても激しい。
感情に流されてばかりだ。

それでも、オレは好意を持たずく悪意を持たず客観的にありのままの姿を見つめたい。
その視線が、小説を書く上で大切だと言われてしまったのだから、突き進むしかない。
突き進みたいのだ。

オレの小説の最大の欠点は、主観的すぎること。
主人公サイドばかりに力を入れすぎて、敵側は悪として簡単に片付けてしまうこと。

面白い作品を産みだせない壁をぶち破るには、物事の見方、受け取り方を変えなければならない。

好意と悪意で受け取ろうとせずにモノゴトをありのままに見つめよ。
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by postmanda | 2007-12-25 01:35


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